国内活動

第2回「次世代食文化フォーラム」 後篇

開催の趣旨としては、日本の食文化を次世代に繋げていくためには現状どのような課題があり、それらをどう解決していくのかを参加者全員で考え、議論し合うことを目的としています。

料理人・大手食品メーカー・経営者・鰹節卸屋・豆腐屋・調理師学校法人、そして庖丁専門店(筆者)など、多種多様なバックグラウンドを持つ方々が参加されておりました。

    紹介する議題
    • 商品の適正価格について
    • 働き方改革について
    • 人類が経済合理性を追求していった先に幸せはあるのか?
    • 各々が目指す未来のビジョンは?

前回は「商品の適正価格について」と「働き方改革について」、この2つの議題について紹介させていただきました。

興味のある方は是非前篇もご覧になってください。

今回は、「人類が経済合理性を追求していった先に幸せはあるのか?」・「各々が目指す未来のビジョンは?」、これら2つの議題について深堀して考えてみようと思います。

人類が経済合理性を追求していった先に幸せはあるのか?

最近、色々な情報番組でこの議題についての議論が行われているのを目にします。

経済合理性(≒利益)を追求していくためには、如何に作業を効率化して生産性を上げていくかが最も需要な要素となります。

世の中が合理化を進め、資本集約型産業へ移り変わっていく中で、飲食業界や伝統工芸の業界でモノ作りを生業とする「職人」は未だに労働集約型産業の枠から抜け出せず、時代に逆行している状態となっています。

労働集約型産業のデメリットは人間への労働力の依存が著しく、お金や機械・設備よりも、人の手による労働が占める割合が大きいため、作業効率が非常に悪く生産性が低いということです。 

『低賃金・長時間労働時間・離職率の高さ』、これらが大きな原因となり、人材不足や後継者問題に直面しているのが現状です。

近年はAIやロボット技術の大幅な向上によって、様々な分野でこれらの技術が取り入れられるようになってきており、今まで人間が担っていた作業を補助する役割として非常に多くの期待が集まっています。

AIを導入することで、データを元にした分析や未来予測・合理的な選択を素早く行うことが可能になり、ロボットを導入することで単純作業を時間と体力の制限なく任せることが可能になります。

僕はこれらの技術を「手仕事をより魅力的なモノしていく」という目的で使いこなせれば我々の産業にとって大きなメリットになると考えています。

飲食店を例に考えてみると、毎日決まっている仕込み作業や調理等をロボットに任せることで本来人間が負担していた仕事が大幅に軽減され、品質の安定化も望めるでしょう。

ロボットの導入により、作業の効率化と品質の安定化が実現すれば人がクリエイティブな仕事に向き合い新たなチャレンジをする機会が増えるため、労働集約型産業の構造に様々な変化をもたらしてくれると思っています。

ただし、合理化を進めていった先に幸せがあるか、と問われると、最終的には「我々がどう使いこなすか」が大きな鍵となるでしょう。

僕自身はモノづくりを心から愛しており、手仕事の1番の魅力は非合理的部分にあると思っています。

僕は合理性のみを追求していき、全ての無駄を省いた作品に対して面白さや魅力を感じることができません。

なぜなら合理性を追求すればするほど、誰もが同じような答えにたどり着くため裏を返せば誰でも作れるありふれた作品になっていってしまいます。

完全に無駄を省いた作品は確かに性能や品質において非常に優れていることは間違いないですが、提供された時点で完成されているため、想像力を働かせて楽しんだり、自分の好みに合わせて手を加える余地が全くありません。

確かに我々の生活にはこういったモノは必要ですが、便利にすることが目的であって、楽しみや感動を与えてくれるモノとは全く異なるものとして考えるべきだと僕自身は考えています。

AI・ロボットはあくまでも更に高い目標に到達するための手段であって、我々の目的ではないということを忘れてはいけません。

作り手の個性や商品が出来上がるまでのストーリーが付加価値となり、想像力を掻き立てられたり、手を加える余白があることで楽しみに繋がります。

その上で素晴らしいと思えるモノに出会えたときに初めて心から感動し、「幸せ」が生まれるのだと思っています。

時代の流れに合わせて変化していくべき所は素直に受け入れつつ、本質の部分は大切に守っていく。

これらのバランスを見極め、今までにない世界を作り上げて行くことが新たな感動と幸せを生み出していくのだと信じています。

各々が目指す未来のビジョンは?

長い議論を終えて、今回のフォーラムの開催目的である、「日本の食文化の継承」に対して各々が異なる立場からどのような形で貢献していくかを発表しました。

「庖丁の魅力やこの業界に携わる職人の想いや情熱を、僕の得意な言語を活かして世界中の人に伝えていきたい」

これが僕の目指す目標ですが、これには深い理由があります。

僕は人前で意見を発表することが非常に苦手で、早く終わらせたいと言う気持ちが強く出てしまい簡潔すぎる回答となってしまいましたが、この場を借りて自分の想いを書き記そうと思います。

僕は台湾にある国立大学の調理学科に通い、その間飲食業に携わっておりましたが、料理を追及している内に食材に最初に触れる道具である「庖丁」に興味を持つようになりました。

実際に庖丁を使い調理をしていく中で、切れ味の重要性や庖丁の材質によって食材の味や仕上がりが異なることに気づき、料理をするにあたって必要不可欠な道具であるはずなのに庖丁に関して教えてくれる先生もいなければ、自ら勉強をしようとする人もいないことに疑問を感じていました。

料理において調理方法や味付けのバランスが最終的な味を決める最も重要な部分であることは十分理解していますが、食材をベストな状態に切り分けることも同じように大切なのではないかと思っています。

髪の毛のように細く切る・透き通る程薄く剥く・水分を閉じ込め断面に光沢を持たせるように切る・あえて香りや雑味が出るように切る、など様々な切り方が存在しますが、これらは庖丁という道具を理解して初めて自分の思うように「切る」ことができるようになります。

皆さんは割主烹従という言葉をご存じでしょうか。

これは庖丁を使って割く(切る)ことが主であり、烹る(煮る=火を使う)ことが従であるという意味です。

すなわち日本では古来より「切る」ことが非常に重視されており、食材そのものの味を生かすためには火を使う調理よりもまず切る作業を大切にしなさいという教えでもあります。

特にお魚を生のまま食する刺身や鮨では、切ること=調理となるため庖丁の状態によって仕上がりに大きな影響を与えるでしょう。

また、火を使う調理においても庖丁の切れ味によって食材の断面の状態が変化し、火の通り方や味の染み込み方、見た目などに違いが出てきます。

多くの料理人が調理法・味付けにはこだわりをもっていますが、「切る」ことを重要視している料理人は実際のところそこまで多くないというのが僕の印象です。

例えば道具でも器については皆さん非常に勉強されていて、こだわりをもって選んでいるのにも関わらず、食材を調理するための庖丁については殆ど知識が無いのが現状です。

必要最低限の知識と庖丁をある程度良い状態で維持できる技術を身に着けて欲しいと思っているので、庖丁についてより深く知るきっかけを提供していければ、と日々思いながら様々な活動を行っています。

最終的な目標は庖丁を通じて、日本の食文化の奥深さを世界中の方に知ってもらい、僕なりの形でこれらの伝統文化を未来に残していきたいと思っています。

まとめ

次世代食文化フォーラムについて前篇・後編で学んだ事や感じた事を書かせていただきました。

今回のイベントでは参加者の殆どが僕よりも遥かに経験豊富な先輩方達ばかりで非常に緊張しましたが、様々な議題に対してな異なる意見を聞くことができ非常に勉強になりましたし、情熱を持って仕事に取り組んでいる方達と交流することで良い刺激になりました。

苦手なことにチャレンジする時はいつも逃げたくなりますが、それでも勇気を持って一歩踏み出すことで少しずつ変わっていけると思っています。

それぞれ得意不得意はあると思いますが、もし今少しでも興味を持っている事があるなら、あまり深く考えすぎずにまずは一度チャレンジしてみることを強くお勧めします。