裏スキ・裏押しとは?
片刃の庖丁に見られる構造で、裏スキは庖丁の窪んでいる部分・裏押しは窪みの両端を囲んでいる平面の部分を指します。
右利きの庖丁であれば持ち手部分から向かって右側が表になり、こちら側は鎬というラインを境目に刃先にかけて鋭角に変化しており、角度の付いた形状をしています。
これに対し向かって左側が裏になり、一見フラットに見えますがよく見ていただくと実は僅かに窪んだ形状をしており、この窪みの周りを細い線が囲んでいるのがお分かりいただけると思います。
裏スキの役割
片刃と両刃の庖丁で最も大きく異なる部分が裏スキがあるかないか、という点です。
この裏スキがあることで、食材を切る際に庖丁の側面と食材の接地面積が少なくなるため摩擦が軽減されます。
摩擦が軽減されることによってよりスムーズに切り分けることが可能になり、食材の断面がより美しく仕上がります。
片刃が得意とする切り方は主に食材を端から薄く切り分ける場合や皮を剥く作業などに適しています。
お魚をさばく際に使用する『出刃庖丁』、お刺身を引く際に使用する『柳刃庖丁』、お野菜を切り分けたり、大根の桂むきなどに使用する『薄刃庖丁』が代表的な和庖丁として知られています。
片刃の庖丁を使用したことがある人であれば分かると思いますが、特に薄刃庖丁で大根などの根菜類を切る際に刃が斜めに入ったり、庖丁の厚みで食材が割れたりすることがあり、初めて使用する人は牛刀などの洋庖丁と比べて使い勝手が全く違うことに驚くでしょう。
片刃の庖丁の多くは日本料理で扱う食材や切り方に適した形状に作られており、それぞれの庖丁が異なる食材に対して最も効率よく、綺麗に切り分けること目的とした道具として考え抜かれ、今なお受け継がれてきています。
裏押しを研ぐ際の注意点
まず最も大切なことは平らな砥石を使用するということです。
他の記事で何度も言及しておりますが、平らな砥石を使用することは刃物研ぎにおいて絶対に守って欲しいことの一つになります。
これが出来ていない方は技術云々の前に面直しをするか、新しい砥石を購入するところから始めてください。
特に片刃の場合は庖丁の中心線に対して裏押しの刃角が平行、つまり0°(に限りなく近い状態)である必要があります。
大きく凹んだ砥石を一度でも使用してしまうと中心線に対して角度が付いてしまうため、刃先が両刃に研げてしまいます。
裏押しに一度角度が付いてしまうと、次に新調した砥石で研ごうとしても刃先が砥石に当たらず、カエリが取れない原因になります。
また、刃先に砥石がしっかり当たるようになるまでには裏押しを必要以上に研ぐことになるため、結果食材との接地面積を広げてしまうことに繋がります。
上記の理由から、裏押しの研ぎには必ず平らな砥石を使用すること、そして基本的には仕上げ砥石でカエリを取るだけで研ぎすぎないようにすること、この二点を守っていただくことが非常に大切です。
裏押しの幅は出来る限り細く保つのがベストで、1㎜以下の「糸裏」に維持するのが理想です。
ただし、あくまでも理想なので現実的な範囲では3㎜を超えずに研ぎ続けることができていれば合格点と言えると思います。
新品を購入した際に裏押しが全くない庖丁もありますので、その場合は中砥石または仕上げ砥石で状態を確認しながら裏押しを作りましょう。
片刃庖丁のオモテ面、つまり切刃側であれば多少歪んだ砥石を使用してしまったとしても修正するのは比較的容易ですが、裏押に関しては一度歪んだ砥石を使用してしまうとお客様個人では直せなくなる場合が多いので、特に注意してください。
砥石の両面を表を研ぐ側と裏押を研ぐ側に分けて使用したり、予算に余裕がある方であれば別途裏押用の砥石を揃えるのもお勧めです。
日本料理との関係
先ほど少しお話に挙げましたが、片刃の庖丁と日本の食文化との間には深い関係があります。
世界中には様々な庖丁が存在しますが、それぞれ各地域の食文化に最も適した形状に変化していくことが多いです。
そもそも片刃という形状を取る刃物は世界でも非常に珍しく、日本特有の形と言えるでしょう。
これは元々、魚と野菜をベースとした日本料理の文化に適応して行く中で辿り着いた形状であり、その中でもお刺身やお寿司のように生食を扱うこともあったため、『切る』という作業が調理の最終工程となることから、切れ味を追求した刃物に進化を遂げてきました。
日本料理は切れ味の良い庖丁を使うことで人間が本来不快に感じる雑味や渋みなどをできる限り抑え、食材そのものの味を引き立てることを重視します。
味付けに使用する調味料も基本的には最小限に抑えられており、主役とする食材そのものの味を引き出すために余分なものをそぎ落としていく調理方法をとることから引き算の料理と呼ばれています。
反面、西洋や中華料理はあえて食材を潰したり、叩くなどして食材の香りを強烈に押し出し、調味料とのバランスを整えることで雑味までが味わいの一部となります。
様々な食材や調味料を複雑掛け合わせていき、バランスの取れた料理に仕上げることから、足し算の料理と言われています。
牛刀などの洋庖丁が日本で扱われるようになったのも明治維新の際に海外から食肉文化が輸入されたタイミングだと言われております。
このように和庖丁、片刃の庖丁は日本の食文化に合わせて最高のパフォーマンスを出せるように先人たちが日々研究を重ねたどり着いた究極の形です。
最近ではユニークな形の庖丁が新しく出てきていますが、機能的には殆ど変わらず、それどころか逆に使いにくいものもあります。
これらは使い勝手よりも見た目のカッコ良さを重視している庖丁や、お客様に魅せる庖丁として考案されたものが多いでしょう。
僕自身もより使いやすい形状はないものか、と考えることはよくありますが、主となる庖丁の形状がこの数十年で殆ど変化していないことから、完成形であるのではないかという結論に至っています。
このように庖丁一つとっても様々な形状のものがあり、なぜそのような形状なのかに疑問を持ち、追及することでそれぞれのメリットやデメリットを知ることができます。
道具の特徴を理解したうえで、お客様の用途に合った庖丁を選んでいただけると今まで以上に快適に料理を楽しむことができると思います。
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